晋江文学城
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3、キノの旅 ...

  •   第二話 「多数決の国」
      ―Ourselfish―

      草の絨毯《じゅうたん》が、果てなくどこまでも続いていた。緑の大地は緩やかにうねり、幾重《いくえ》にも重なりながら地平線の向こうへと消えていく。
      空ははっきりと蒼《あお》く、高い。ところどころに、眩《まぶ》しいほど鮮やかな雲が流れている。遥《はる》か遠く地平線上の空では、巻き立つ入道雲《にゅうどうぐも》が、白亜《はくあ》の神殿のようにそびえ立っている。蝉《せみ》が激しく鳴く声が、囲むように聞こえている。
      その草原には、一本だけ道があった。
      それはわずかに土が見えることで、かろうじて分かるほど細い道だった。まっすぐ進んでは、ところどころに群生《ぐんせい》している木々をよけるように、たまに急カーブを繰り返している。そして西へと延びていた。
      一台のモトラド(注?二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が、その道を走っていた。モトラドはカーブをかなりのスピードでクリアしていった。長い直線に入り、後輪《こうりん》は土を蹴《け》散《ち》らし、さらに加速していく。
      モトラドの運転手は、黒くて裾《すそ》の長いベストを着ていた。襟《えり》は風が入るように、大きく開けている。腰を太いベルトで締めて、後ろにハンド?パースエイダー(注?パースエイダーは銃器。この場合は拳銃《けんじゅう》)のホルスターをつけている。中には細身《ほそみ》のハンド?パースエイダーが、グリップを上にして収まっていた。右脇《みぎもも》にも、もう一丁《いっちょう》見える。
      ベストの下には白いシャツを着ていた。肩から伸びた両袖《りょうそで》が風であばれないように、数カ所をバンドで止めている。
      運転手の黒くて短い髪《かみ》が、風でわしゃわしゃと乱されていた。細身の精悍《せいかん》な顔に、ところどころが剥《は》げた銀色フレームのゴーグルをして、運転手は前方を睨《にら》んでいる。
      カーブが近づき、運転手は減速して、モトラドを倒し込んだ。わずかに後輪を滑らしながら、安定した挙動《きょどう》でカーブをぬけた。
      モトラドに後部《こうぶ》座席はなく、パイプフレームのキャリアになっていた。そこには、大きな鞄《かばん》と、丸めた茶色のコートが縛《しば》りつけられている。その一番上に、運転手が今着ているベストの、元はジャケットの両袖が、しっかりと、そして無《む》造作《ぞうさ》にくくりつけられていた。キャリアの下には、さらに荷物を積むための箱が後輪|両脇《りょうわき》に取りつけられている。
      モトラドは草原を滑るように走り続けた。
      ふと、運転手が軽く顎《あご》を上げた。左手をハンドルから離し、二回ほどモトラドのタンクを叩《たた》いた。そして前方を指さした。
      「見えてきたよ」
      運転手がモトラドに話しかけた。
      「やっとかい」
      モトラドが答えた。
      彼らの進む先に、町を取り囲む白い城壁が、ぼやけながらも見え始めていた。
      運転手はアクセルをさらに開けた。

      「誰《だれ》かいませんか?」
      モトラドの運転手が大声《おおごえ》を出した。ゴーグルをはずして首にかけた。風でぐしゃぐしゃになった髪《かみ》を手で整えようとしたが、あまり代わりばえはしなかった。
      運転手の目の前には、高い城壁にあいたアーチ状の門があった。しかし本来はしっかり閉められているはずの分厚い扉《とびら》は、完全に開いていた。暗い門をくぐった向こうに、石造りの家がわずかに見えている。いつもはパースエイダーを構えた門番兵《もんばんへい》がいるはずの詰《つ》め所《しょ》にも、人の気配はなかった。
      運転手は、しばらくそのまま待った。一度だけ、額《ひたい》の汗を腕で拭《ぬぐ》った。
      「誰もいないみたいだよ、キノ」
      サイドスタンドで立っているモトラドが、代わりに返事をした。
      「おかしいな」
      キノと呼ばれたその運転手は、もう一度大声で聞いた。
      穏《おだ》やかに風が吹く音だけが聞こえた。
      「返事なし」
      モトラドが短く言った。
      「人っちゃえばどうかな。門は開いてるんだから」
      「それはまずいよ、エルメス。他人の家に許可なく入って、撃《う》ち殺されても文句は言えないだろ」
      エルメスと呼ばれたモトラドは、そかな、と小さく言って、
      「誰もいなければ撃たれはしないよ。それに」
      「……それに?」
      キノがエルメスへ、何かを期待する顔で振り向いた。
      「キノを殺せる人間は、そうそういないよ。たとえ後ろからパースエイダーを抜かれても、たいていの相手は振り向いて撃ち倒せる。保証するよ」
      「…………。そいつは、どうも」
      キノは苦笑しながら、右腰のホルスターに入っている、リヴォルバータイプのハンド?パースエイダーを軽く叩《たた》いた。
      「仕方がない。いつまでもここにいる訳にもいかない。おじゃまさせてもらうか」
      「そうしよう。意見はそろった」
      「ただし、反撃《はんげき》はなしだ。何かされそうになったら、逃げるよ」
      「お好きなように」
      キノはエルメスを押しながら、門をくぐっていく。
      「キノ。国の中央にでも行けば、誰《だれ》かがいるに決まってるよ。そしたらその時にでも、入国と滞在の許可をもらえばいい。うん」
      エルメスが軽口を叩《たた》いた。
      門をくぐり終えて、城壁の中の町へと、キノとエルメスは入っていった。

      「町中で野営《やえい》とはね」
      キノがたき火に木をくべながら、やや自嘲《じちょう》気味に言った。辺《あた》りは真っ暗で、空には雲でところどころ隠《かく》された星空が見えている。
      「少なくとも、キノのせいではないよ」
      メッキのパーツにちらちらと炎《ほのお》を映しながら、荷物を全《すべ》ておろしたエルメスが止まっていた。
      「すると、エルメスの責任かな?」
      キノがおどけて言葉を返す。
      「それも違う。この国の住人の責任さ。これほど整備された国に、誰も住んでないなんて、建造物に対して大変失礼だ。無礼だ」
      エルメスはやや憤慨《ふんがい》して言った。
      キノとエルメスがすっかり腰を落ち着かせているこの場所は、大きな交差点の真ん中だった。
      石畳《いしだたみ》の、車が並んで数台は通れそうなほど太い道が、きれいに四方に延びていた。道沿いには石造りの建物が隙間《すきま》なく並んでいる。全て同じ様式の四階建て、歴史がありそうな立派《りっぱ》な建物だった。しかし、窓から漏れてくる明かりはない。
      結局キノとエルメスは、半日この町を彷徨《さまよ》い、誰一人見つけることはできなかった。最近人が住んでいた形跡すらなかった。
      そして廃屋《はいおく》の探索に疲れて、見晴らしのいいこの場所に座り込んだ。なぜか一カ所、石畳が緩やかに窪《くぼ》んでいた。手のかかった街路樹だったらしい枯《か》れ木を集めて、そこで火を焚《た》いた。
      「ゴーストタウン、か」
      キノが粘土のような携帯《けいたい》食料を手でちぎりながらつぶやいた。それを口へと放り込む。美味《おい》しくて食べているといった様子《ようす》は、まったくない。
      「明日《あした》はどうする?」
      簡単な食事を終えたキノに、エルメスが聞いた。
      「まだ行っていないところがある。そこを探してみよう」
      「無駄《むだ》に終わるかもよ」
      「まあ、それでもいいよ」
      キノは短くそう答え、鞄《かばん》から毛布を引っぱり出した。エルメスとたき火を通りに残し、角《かど》の建物の軒先《のきさき》へと歩いていった。歩道に毛布を敷いて座る。そしてぼやいた。
      「柔らかいベッドと、真っ白なシーツがほしいな……」
      「ご愁傷様《しゅうしょうさま》。ちなみに明日《あした》の朝起きても、熱いお湯の出るシャワーはないよ」
      「……やれやれ」
      キノは右腿《みぎもも》のパースエイダーを抜いた。キノが『カノン』と呼ぶ、単手《たんしゅ》動作式リヴォルバー。そしてそれを握ったまま、毛布にくるまるように横になった。
      「もう寝るの?」
      「ああ、することがないしね。後はよろしく。おやすみエルメス」
      キノはそう言うとすぐに、整った寝息を立て始めた。

      ゴーストタウンの夜は静かだった。
      時たま通りの真ん中で、
      「暇《ひま》だなー」
      小さくつぶやく声が聞こえるだけだった。

      翌朝。
      キノは夜明けと共に起きた。辺《あた》り一面|霧《きり》が立ち込めていた。
      キノは軽く運動して、パースエイダーの整備と訓練をした。そして昨夜と同じメニューの朝食を取った。
      太陽が姿を現し、そして霧が完全に晴れた頃《ころ》、エルメスを叩《たた》いて起こした。
      一応《いちおう》たき火の後をきれいに始末する。全《すべ》ての荷物を積み込んで、その場を後にした。
      キノ達は、昨日《きのう》行っていなかった場所を半日走り回った。やはり誰《だれ》一人として見かけることはなかった。人が住んでいた気配もなかった。
      そして昼頃、やや探求に疲れを覚えたキノとエルメスは、巨大な公園にたどり着いた。
      緑の広大な敷地に、白い石畳《いしだたみ》の道が延びている。モトラドでしばらく走り回っても、まだ端《はし》にたどり着けないほど広い。
      ここにも最近人の手のかかった様子《ようす》はなく、木々や芝生《しばふ》は伸び放題《ほうだい》で、池の水は干《ひ》からび、花壇《かだん》の花は全《すべ》て枯れていた。
      キノ達は公園をさらに奥へと進み、白亜《はくあ》の建造物を見つけた。

      「これは、凄《すご》いね。もの凄く手間とお金がかかってるよ。とても素晴らしい」
      エルメスが感嘆《かんたん》し、褒《ほ》めちぎった。
      キノとエルメスは、白い大理石で造られた建物の正面にいた。目の前のそれは、キノの視野に入りきらないほど大きい。造りはひたすら豪奢《ごうしゃ》で、建物の端《はし》から端、上から下まで美しい装飾が施されていた。
      「元は王宮か何かかな」
      キノが額《ひたい》をシャツの袖《そで》で軽く拭《ぬぐ》いながらつぶやいた。太陽は一番高いところにあって、日差しは眩《まぶ》しい。
      「おそらくね。それも相当にリッチな王様が住んでたんだ。ま、いつの頃《ころ》かは知らないけど」
      「それが、王政《おおせい》がなくなって公園になったのか。……誰《だれ》か歴史を教えてくれる案内人はいないのかな?」
      キノが多少の皮肉《ひにく》を込めて言うと、エルメスも、
      「ねえ。ぜひ聞きたいのに」
      そうぼやいた。

      キノはエルメスを押しながら、建物の中を探索していった。
      何十枚ものステンドグラスで飾られた巨大なホールや、普通の家よりはるかに広い浴場、果てしなく続く廊下など、内装も外装に負けず豪華《ごうか》だった。
      そして、どこもかしこも埃《ほこり》だらけだった。
      適当に見学を終えたキノとエルメスは、ふと建物の裏に出た。そこはテラスになっていて、広大な裏庭を一望できるようになっていた。
      「なるほどね」
      エルメスが目の前に広がる景色を見て、素直につぶやいた。キノは何も言わず、テラスから身を乗り出すようにして、それを見た。
      墓《はか》だった。
      裏庭の芝生《しばふ》の緑の中に、簡単に土を盛り、薄い木の板を一本立てただけの簡単な墓があった
      そして墓は、視界|一杯《いっぱい》に広がる裏庭を、文字どおり埋め尽くすように並んでいた。幾千《いくせん》、幾万あるのか、到底《とうてい》数え切れない。
      裏庭が元々は王族の狩猟《しゅりょう》場だったのか、それとも市民の憩いの場だったのか。そこに説明文はなかった。しかし今は、巨大な墓場でしかなかった。
      キノが長く、深く、息を吐いた。しばらくそれを眺《なが》めていた。
      夏の遅い日の入りがゆっくりと迫り、空は静かに明るさを失い始めていた。建物の影の中、そこは急速に光を減らしていく。まるで沈んでいくようだった。
      ややあって、エルメスがつぶやいた。
      「キノ、ここの人間はほとんど死んじゃったんじゃないかな」
      「…………」
      「それで、生き残った人間もどこかに行っちゃったんだよ。ホーキされた国ってやつさ
      「……そうかもしれないね。なんでだろう?」
      「さあ……」
      キノはエルメスに振り向いて、テラスの手すりに寄りかかった。
      「ここにいても、もうなんにもならないよ。次の国へ行こう」
      キノは軽く首を振りながら、
      「いいや。今晩はここに泊まって、明日の朝出発しよう。まだ三日|経《た》っていない」
      するとエルメスは、
      「またかい。その、一つの国には三日って、何か意味があるの?」
      かなり訝《いぶか》しげに聞いた。
      キノはほんの少しだけ微笑《ほほえ》んで、
      「昔会った旅人が言ってた……。それくらいがちょうどいいんだってさ」
      「そんなもんかね」
      エルメスはあまり興味なさげにつぶやいた。
      キノは寄りかかったまま首だけを回し、もう一度|墓《はか》を見た。

      三日目の朝を、キノ達は公園の入り口にある小屋の中で迎えた。
      キノはいつもと変わらず夜明けと共に起きた。パースエイダーの訓練をして、整備をした。濡《ぬ》らした布で体を拭《ふ》き、朝食を取った。そして荷物を整え終えてから、エルメスを叩《たた》いて起こした。
      ベストをシャツの上から着て、ベルトを締めた。ホルスターの中のパースエイダーをもう一度確認する。
      キノは西側の門へ向けて出発した。
      ゴーストタウンの朝は、他《ほか》の町のそれと同じように静かだった。
      キノはエルメスのエンジン音を遠慮《えんりょ》なく建物に響《ひび》かせながら、スピード違反の速度で走っていった。

      城壁が見えてきた時、キノは門の前に一台の農業トラクターが止めてあるのを見つけた。
      後ろの荷台には、野菜や果物が山積みされていた。そして、運転席には、一人の男が帽子を目深《まぶか》に被《かぶ》って座っていた。三十代ほどの男で、土に汚れた作業服を着ている。
      「キノ! 人だよ! この国に人がいた!」
      エルメスが、まるで人がいるのが筋違《すじちが》いであるかのように興奮《こうふん》気味に言った。
      キノ達がトラクターに近づいた。男は寝ていた。そしてエルメスの爆音《ばくおん》に顔をしかめ、頭を軽く振る。目を覚ました。そしてキノと目があった。
      キノはエルメスのエンジンを切った。辺《あた》りが急に静かになる。
      「起こしてしまって申し訳ありませんが……、おはようございます」
      「どうも」
      キノとエルメスが挨拶《あいさつ》すると、
      「こいつは、驚いた……」
      男の両目《りょうめ》がこれ以上ないほど開かれた。一瞬《いっしゅんで》で眠気《ねむけ》を吹き飛ばした様子《ようす》だった。
      「あ! ひょっとして、旅人さんかい? ……ちょっと待って!」
      男はトラクターの運転席から飛びおりてきた。一度つまずいてキノの元に駆け寄る。
      「やあ、今日《こんにち》は! 私は、この国の住人だ。唯一《ゆいいつ》の住人だ。我が国にようこそ! いや、よく来てくれた。会えて嬉《うれ》しいよ!」
      二日遅れの猛烈な歓迎を受けて、キノは複雑な表情を作った。
      エルメスが聞く。
      「この国の人間はおじさんだけだって?一体《いったい》何があったのさ?」
      するとその男は、嬉しそうな哀《かな》しそうな、そして泣き出しそうな顔をして、キノとエルメスに訊《たず》ねた。
      「キミ達、すぐ出発かい?時間はあるかい?」
      「今日中でしたら、出発はいつでもいいんです」
      すると男は、
      「そ、それなら! キ、キミ達にぜひ、この国で何があったのか説明したい! 聞いてくれるね?頼む! 頼むよ!」
      しがみつかんばかりの勢いで言った。
      キノはエルメスを一瞬見て、男に向き直った。
      そして微笑《ほほえ》みながら言った。
      「ええ。ぜひ知りたいですね」

      門の前の広場、そのコーナー部分。建物の一階にはオープンカフェがあったらしく、椅子《いす》とテーブルが山積みになっていた。男は日差しよけの屋根を歩道に広げ、テーブルとイスを引っぱり出した。イスを軽くはたいてキノに勧めた。エルメスはキノの脇に、センタースタンドで立っている。
      男はテーブルの上に肘《ひじ》をつき、手を顔の前で組んだ。
      「まず、何から話そうか……。やはり王政《おうせい》と革命からかな」
      「やはり王様がいたんですね」
      キノの問いに男が頷《うなず》いた。
      「ああ。十年前まではね」
      「それで革命が起きた、と。だいたい予想どおりだね、キノ」
      「キミ達は、中央公園には行ったようだね。あれも見たんだろう」
      男が少し顔と声を曇らせた。
      「そうです。勝手に行きました」
      エルメスが皮肉《ひにく》気味に返事をした。
      「それはかまわないよ。話が早くなって助かるから」
      「あれは、この国の人達のお墓《はか》ですよね?」
      男は何度か頷いた。
      「ああ……。でも、仕方のないことだからね」
      「流行病《はやりやまい》か、何かですか?」
      キノが聞いた。男は悲しげな表情を作り、こう言った。
      「いいや、違う。病気で死んだのは一人だけだ……。順を追って話そう」

      「この国は、建国|以来《いらい》ずっと王政が続いていた。王一人が、回と人を全《すべ》て我が物として支配してきた。それは、何十人いた王の中には、立派《りっぱ》な政治で国民から慕われた者もいたさ。しかし、そうでない輩《やから》の方が圧倒的に多かった……。特に十四年前に王になった奴《やつ》は最低だった。皇太子《こうたいし》時代が長かったせいか、王になるやいなや自分|勝手《かって》な行動に出た。逆らう人は殺された。当時|不作《ふさく》で財政|難《なん》だったことなんてまったくかまわずに、遊んでばかりいた。不作は三年も続き、ほとんどの人は飢えた。むろん、そんなこと、奴はお構いなしさ。きっと〝飢える?って言葉も知らなかったんだろう」
      「〝パンがなければケーキを食べればいいのに?」
      エルメスが茶化《ちゃか》してそう言うと、男はニヤリと笑って、
      「博識《はくしき》だね」
      エルメスは、どうも、と短く言った。
      「十一年前、あまりの生活苦に税率を下げてほしいと訴えた農民が、全員殺されてしまった。我々の怒りは頂点に達した。王による暴力はもう歯止めがきかない。この状況を何とかするためには、王を、そして王制《おうせい》そのものを倒すしかないと、革命計画が本格的に動き出した。当時私は、大学院で文学を勉強していた。家は比較的|裕福《ゆうふく》だったが、貧しい人達の痛みは分かった。そして私は、その計画にかなり初期|段階《だんかい》から参加した」
      「ふむふむ」
      「もしそれを見つかっていたら?」
      キノの質問に、男は顔を曇らせた。
      「もちろん死刑だ。仲間が何人か捕まって、処刑《しょけい》された。この国の伝統的な死刑方法を知っているかい?手足を縛《しば》って逆さまに吊《つ》り上げ、道路に頭から落として殺すのさ。この国では、家族も一緒に処刑《しょけい》される。交差点広場の公開《こうかい》処刑を、私は何度も見ることになった。まず仲間達の家族が落とされる。親、配偶《はいぐう》者、子供の順に……。そんな中、仲間達が私や他《ほか》の仲間を群衆《ぐんしゅう》から見つけて、目隠《めかく》しを断って、落下するほんの刹那《せつな》に何かを訴えて、そして頭蓋骨《ずがいこつ》を砕かれ、首の骨を折って死んでいくのを見た。……何度も見たよ」
      「…………」
      「十年前の春の朝、とうとう我々は蜂起《ほうき》した。まずは警備隊の武器庫を襲《おそ》った。むろん大量のパースエイダーと弾薬《だんやく》を手に入れるためだ。それ以前は、一般の民衆が武器を持つことが一切許されなかった。当たり前と言えば当たり前か。ろくでもない権力者ほど、民《たみ》が武装するのを恐れるからね。とにかく、各地の武器庫からパースエイダーを持ち出すことには成功した。我々に賛同してくれた警備隊員もいた。そして我々は、一気に王宮《おうきゅう》に突入し王を捕まえる、はずだった。だが止《や》めた」
      男はそこまで言うと、軽く微笑《ほほえ》んだ。
      「止めちゃったの? どうして?雨が降りそうだったから?」
      エルメスが驚いて聞いて、
      「……洗濯物を干すのとは訳が違うよ、エルメス」
      キノが呆《あき》れ顔で言った。そして男に向いて、
      「その必要がなくなったからではないですか?王が逃げ出したとか?」
      男は人差し指を立てて、嬉《うれ》しそうに笑いながら、
      「正解さ。そのとおり」
      「なんで分かったの? キノ」
      「あの建物がどこも傷《いた》んでなかったからね」
      エルメスは、なるほど、と小さくつぶやいた。
      「王は家族と共に、いや、財産と共にと言うべきかな、トラックの荷台に隠《かく》れて国外に逃げようとした。そしてすぐに見つかった。ははは、それはそうさ。誰《だれ》だって荷台で野菜と宝石に埋もれている人間を見たら怪《あや》しいと思うだろう。そして革命は、ほとんど犠牲《ぎせい》を出さずに成し遂げられた」
      「それは凄《すご》い。で、それから? それからどうなったの?」
      エルメスがせっつくように聞いた。
      「それから我々は、新しい自分達の生き方として、そして国の運営方法として、自分達が自分達を治める、今までにない政治|形態《けいたい》を作ることにした。特定の一部の誰かではなく、皆で決めて皆で行う政治だ。我々は誓《ちか》った。〝もう二度と、一人の人間が国家であってはならない。国家は皆のものである?、と。誰かのアイデアを皆に知らしめて、どれだけの人間がそれに賛成しているのかを調べる。多くの人間が賛成していれは、その方法を採用する。最初に決めたのは、捕らえられた王をどうするかということだった」
      「どうなりました?」
      キノが聞いた。男は目を細めながら、
      「投票の結果、九八パーセントの賛成|多数《たすう》で、王の死刑が決まった。王と、その取り巻きと、その家族とね」
      「やっぱりね」
      エルメスがつぶやいた。
      「王一家が吊《つる》されて、落とされて。やっと恐怖と絶望の時代が終わった気がした……。それからは忙《いそが》しかったよ。皆でいろいろなことを決めた。まずは憲法。第一条には、国は皆のものであって、国の運営は全《すべ》て多数決による旨が記載された。そして税制。警察。国防。法律に刑罰。学校制度を決めた時は楽しかったな。これからの未来を租う子供達に、どういった教育を施すかを決められるなんて。ああ、楽しかった……」
      そして男は日を閉じた。それから小さく何度か頷《うなず》いて、目を開けてキノを見た。
      キノは身を少し乗り出して、
      「それから、どうなりました?」
      男は水筒を開けて、何口《なんくち》か飲んだ。一度息を吐いた。
      「しばらくの間は、全てはうまくいっていた……。ところがある時、突如《とつじょ》とんでもないことを言い出した奴《やつ》らがいた。主張はこうだ。『全てが直接投票だと手間が著しくかかる。誰《だれ》かリーダーを投票で選び、その人に権限を与え何年か国の運営を任せたらどうだろうか?』」
      「その主張は、通ったのですか?」
      「まさか! それはもう、気違いじみているとしか言いようがなかった。そんなことをして、その選ばれたリーダーが狂ったらどうする?一人の人間に力を与えてしまい、奴が暴走した時、誰がどうやって止められる?言い出した奴らはこの国に再び絶対的|存在《そんざい》である〝王?を作り出し、その庇護《ひご》の下で自分達だけ特別な生活をしようとしたのさ。浅《あさ》ましい考え方だ。当然反対多数で通らなかった」
      「なるほどね」
      「しかし我々は、そんな危険な考えを持つこと自体が、国の未来に危険だと判断して、奴ら全員を国家|反逆罪《はんぎゃくざい》で告発した」
      キノがエルメスをちらっと見た。そして男に聞いた。
      「どうなりました?」
      「賛成多数で、奴らは有罪となった」
      「それで?」
      エルメスが聞いた。
      「死刑さ。全員死刑になった」
      「……例の、家族全員を吊《つる》して落とすという……?」
      キノの質問に、
      「ああそうさ。皆の国家に逆らう奴《やつ》らはそれがお似合《にあ》いだ」
      男は吐き捨てるように言った。しかしすぐに寂しそうな表情を作り、こう続けた。
      「だけどね、残念ながら国家に逆らおうとする奴らは、それで終わらなかった。ある時は死刑制度をなくそうなどと言い出す奴らが現れた。とんでもないことさ。死刑制度を廃したら、国家|反逆者《はんぎゃくしゃ》をいつまでも生かしておかなければならない。そんなことを言い出す奴ら自体が国家反逆者なのさ。だから奴らもその後の投票で死刑になった。またある時は、我々の新税制に反対する奴らが現れた。自分達の税率は高すぎると文句を言い、あまつさえ払えないから払わないと言い出した。多数決で決まったことに対して従わないと、文句を言い出したんだ。自分達だけがよければそれでいいなんて傲慢《ごうまん》な考えを、我々は当然許すわけにはいかない。奴らも処刑《しょけい》したよ」
      「…………」
      「国の運営ってやつも大変だね」
      エルメスが言った。男は軽く人差し指を立て、
      「そうさ。でもしっかりとやらなくては、どこかで間違ってしまうから。取り返しのつかないことになってからでは遅いんだ」
      「その後は?」
      キノが聞いた。
      「うん。我々は何とか立派《りっぱ》な国を作ろうと頑張《がんば》ってきた。……だけど、どうしても国家に逆らおうとする奴らは生まれてしまう。ある時は皆と同じ、しっかりした考えを持っていた人も、ある時は我々に反抗し、国を間違った方向へ導こうとする。昔の仲間を処刑した時はさすがに心が痛んだ。しかし、私はしなければならないことを、個人的感情で逃げたりはしない。決してね」
      「それで、そのうちにお墓《はか》が足りなくなったのですか?」
      「残念ながらそのとおりだ。しかし幸運にも、元《もと》|王宮《おうきゅう》が中央公園になっていて、農地にするはずだった裏庭を使うことに決めた。反対した奴は死刑にした」
      「今まで何回、死刑は執行されましたか?」
      キノの質問に、男は少し考えた。
      「さあ。王の時代からだと数え切れないくらい……」
      「いえ。新政府になってからでいいです」
      「ああ。一万三千六十四回だ」
      男はすぐさま答えた。
      「最後の一回は、どんな投票で決まったんですか?」
      「最後は、ちょうど一年前だった。その時この国には、私と私の愛する妻、そしてもう一人、私の長い間の仲間だった独り身の男がいた。我々は三人でしっかりこの国を支えていくつもりだった。しかしある時、その男が、この国を出ていくと言い出した。何度も行かないように説得を試みた。しかし、奴《やつ》の邪悪《じゃあく》な意志は固かった。国を捨て、義務を捨てて出ていくなど、我々は許せなかった。投票の結果、二対一で奴を死刑にすることが決まった」
      「奥さんは、まだいらっしゃるのですか?」
      男は首をゆっくりと振った。
      「いいや、もういない。……半年ほど前だ。病気で死んでしまった。風邪《かぜ》だった。医者でない私には、どうすることもできなかった……。ああ……。ちくちょう……、ちくしょう……」
      やがて男は、静かに泣き出した。

      「お話、ありがとうございました。大変よく分かりました」
      キノは机に突《つ》っ伏《ぷ》し鳴咽《おえつ》する男にそう言って、軽く頭を下げた。そして、
      「エルメス、そろそろ」
      そう言いながら、イスから立ち上がった。すると男が頭を上げた。
      「もう、この国には私しかいない。寂しいよ」
      「…………」
      「しかし、正しい行いは、時に人に苦行《くぎょう》を強いる。この困難に、この国は立ち向かっていかなければならないんだ」
      やがて男は顔を拭《ふ》くと、キノとエルメスに提案をした。
      「キミ達! 頼むからこの国の住人になってくれ。そして一緒にこの国を再興《さいこう》させよう。ここにいる皆が、名誉《めいよ》ある市民だ。な、いいだろう?」
      キノとエルメスは、ほぼ同時に返事をした。
      「いやですね」「やだね」
      男は一瞬《いっしゅん》、意外そうな、そして悲しそうな表情を作った。
      「そ、そうか。キミ達〝二人?がそう言うなら仕方ないな……。そ、それなら」
      男はほんの少し考えて、聞いた。
      「キミ達は後一年ほど、ここにいなくてはならないと思う。どうだろう?」
      「そんなことはないです」「キノに賛成」
      「キミ達はもう一週間だけここにいて、ここにある物を何でも好きに使っていい」
      「お断りします」「いらない」
      「も、もう三日ここに泊まって、とてつもなく豪華《ごうか》な食事を一緒にどうだい?」
      「うっ。……いや、いりません」「キノの気が変わらないうちに出発します」
      「この国に住んでくれたら、私はしばらく忠実な奴隷《どれい》として振る舞ってもいい」
      「遠慮《えんりょ》します」「そんなシュミはないです」
      ごんっ!
      キノはエルメスのタンクをぶっ叩《たた》いた。そして顔をしかめながら、手を振った。
      「そろそろ出発します。あなたの申し出は残念ですが、どれもこれも賛成できません。でも、お話を聞かせてくれて本当に感謝します」
      キノは一度だけ軽く頭を下げた。
      「もう一日だけ! もう一日だけこの国にいてくれないか。そうすれば、この国の素晴らしさをもっと説明できる。頼むよ……」
      「そういう訳にはいきません。三日間すでに滞在しましたから」
      キノはそれだけ言うと、エルメスに振り向いた。
      「なんでか知らないけど、そういうことになってるんだ。悪いねおじさん」
      男は再び泣き出しそうな顔をした。そして何か言おうとしたが、口がぱくぱくと動いただけだった。
      「行こうか」
      そう言ってキノがエルメスに跨《またが》ろうとした時、男は自分の鞄《かばん》に手を突っ込み、中からハンド?パースエイダーを取り出した。中折れ式のフレームにシリンダーが並列した、十六|連発《れんぱつ》リヴォルバーだった。
      男はそれを取り出したが、取り出しただけだった。キノの後ろに向けるどころか、分厚い引き金に、人差し指と中指をかけていなかった。
      「それでボク達を、今度は脅迫《きょうはく》するんですか?」
      キノが首と視線だけ男に向けながら、淡々《たんたん》とした口調で訊《たず》ねた。キノの右手は、右腿《みぎもも》のホルスターに静かに伸びていた。
      男はしばらく、両手で抱えるようにして持つ、自分のパースエイダーを見ていた。そして首を何度も横に振り、もがいた。
      「いいや、駄目《だめ》だ駄目だ駄目だ! これを使ったら、私はあの愚《おろ》かな王やその取り巻きと一緒になってしまう。暴力で自分の考えを押し通そうとするのは間違いだ! 間違いなんだ! 愚かな考え方だ! 駄目なんだ! ……そう、全《すべ》ての物事は、より多くの人が望む道を選ぶべきだ。それを投票で知り、総意《そうい》として平和的にその道を選ぶ。それこそが人が歩むべき、そして致命的な間違いを起こさない唯一《ゆいいつ》の道だ! そうだろう?」
      男は力なく、パースエイダーを下ろした。男がそれを折って開けると、弾丸《だんがん》は一発も入っていなかった。
      キノが振り向いた。ほんの少しだけ微笑《ほほえ》んでいる。
      そして言った。
      「ボク達にそんなことを聞いていいんですか? もしボクとエルメスが、『それは違う。あなた間違っていますよ』って言ったらどうします?」
      男ははっとして、パースエイダーを落とした。がしゃっ、という音が響《ひび》くと同時に、男の顔は蒼白《そうはく》になって、歯をがちがち鳴らしながら震え出した。
      それからしばらくして、彼は体の奥から勇気を絞り出したように、力の限り叫んだ。
      「い、行ってしまえ! お、お、お前らなんか、ど、どっか行ってしまえ! いなくなれ! この国からででで、出ていけ! 消えろ! 二度と戻ってくるな!」
      「そうします」「そうするよ」
      キノはエルメスに跨《またが》り、エンジンをかけた。
      やかましいエンジン許が響《ひび》く。
      「逃げるよ」
      キノは小さくつぶやいて、エルメスを発進させた。
      走り去り際にエルメスがぼそっと言った言葉は、
      「さよなら王様」
      男には聞こえなかった。

      男はモトラドが走り去るのを、見えなくなるまで見ていた。右手には、たった今|弾丸《だんがん》を込め終えたパースエイダーを持っていた。今にも発砲しそうなほど握りしめていた。
      男が叫んだ。
      「お前らあ! もし戻ってきたら絶対に撃《う》ってやる! 殺してやるぞ!」
      男はモトラドが消えた先をずっと、睨《にら》みつけ続けていた。
      旅人は戻ってこなかった。

      モトラドは、しばらく草原の道を走った。そして止まった。キノがゴーグルを外す。その視線の先で、道が二つに分かれていた。
      キノはエルメスから少し離れると、コンパスで方角を確かめた。一つは西南西へ、もう一つは西北西へ延々《えんえん》延びている。大草原の向こうには地平線しか見えなかった。
      「どっちへ行く?」
      エルメスが聞いた。キノは、自分で要所《ようしょ》要所のルートだけを書いて作った地図を見ながら、不思議そうにつぶやいた。
      「おかしいな、この道は一本のはずだけど」
      「それ、誰《だれ》が言ったのさ?」
      「ずいぶん前に会った商人。ほら、カンガルーとパンダを連れた」
      キノがそう言うと、エルメスはからかうような口調《くちょう》で、
      「ははあ、かつがれたかな。善良なキノ君は」
      「いいや、ここまではあってるよ。さっきの国から西へ向かって道なりに行けば、水が紫色《むらさきいろ》の湖があって、その後大きな国に出るはずなんだ。この二つの、どちらかが正解だ」
      そう言うと道にもう一度目をやった。
      「右かな、道の幅が太い」「左でしょ、道の土が硬い」
      キノとエルメスが同時に言った。
      「…………」「…………」
      そして双方しばらく黙る。
      ややあってキノが、
      「分かった。左に行ってみよう」
      「えっ?」
      「なんだよ、『えっ?』て?」
      エルメスが質問に正直に答える。
      「キノが道をこんなにすぱっと決めるなんて。いつもはお腹がすくまで悩むくせに。一体《いったい》どういう風の吹《ふ》き溜《だ》まり?」
      「……吹きまわし?」
      「そうそれ」
      そう言ってエルメスは少しだけ黙った。
      「で?」
      キノはうーん、と小さくうなってから、
      「ここで食料を減らすより、まあ、とりあえず行ってみようと思ってさ。それに暑いし。エルメスだって、走ってる方がいいだろ」
      「そりゃあそうだけど……。間違ってたらどうするのさ?」
      エルメスが不安げに言った。キノは遠くを見ながら。
      「そうだな。しばらく走って湖に当たらなければ、もしくは途中で道が向きを変えたら、素直にここまで戻ってくる。運良く誰《だれ》かに会ったら、訊《たず》ねる」
      「なるほど、物は試しだね。そのアイデアに賛成。そうしよう」
      エルメスがそう言うと、じゃあそういうことで、とつぶやきながら、キノは地図とコンパスをしまった。エルメスに跨《またが》り、ゴーグルをはめた。
      キノはエルメスを発進させた。そして、右の道に進んでいった。
      「あ? ああっ! キノぉ! だましたな!」
      エルメスが叫んだ。
      「人聞きの悪い。だましてなんかないよ。物は試しなら、どっちに行ったっていいじゃないか。違うかい?」
      「ずるーっ! だからって右に行くことはないじゃんかぁ!」
      エルメスの正当な抗議を無視しながら、キノはアクセルをさらに開けた。

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